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最高裁判所第一小法廷 昭和57年(オ)184号 判決

上告人 初鹿野千枝子 外1名

被上告人 初鹿野次郎作 外9名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告人初鹿野千枝子代理人市木重夫の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立つて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

なお、原審は、第一審判決添付の物件目録(一)ないし(七)、(一〇)及び(二)記載の各不動産(但し、(一〇)については共有持分2分の1。以下同じ。)が昭和35年1月20日に死亡した訴外初鹿野信忠の遺産であり、被上告人ら及び上告人らがその共同相続人(代襲相続人及び共同相続人の各相続人を含む。以下同じ。)であるとの事実を確定したうえ、遺産分割の前提問題として、右不動産が右信忠の遺産であることの確認を求める被上告人らの請求を認容すべきものとしているところ、このような確認の訴え(以下「遺産確認の訴え」という。)適否につき、以下職権をもつて検討することとする。

本件のように、共同相続人間において、共同相続人の範囲及び各法定相続分の割合については実質的な争いがなく、ある財産が被相続人の遺産に属するか否かについて争いのある場合、当該財産が被相続人の遺産に属することの確定を求めて当該財産につき自己の法定相続分に応じた共有持分を有することの確認を求める訴えを提起することは、もとより許されるものであり、通常はこれによつて原告の目的は達しうるところであるが、右訴えにおける原告勝訴の確定判決は、原告が当該財産につき右共有持分を有することを既判力をもつて確定するにとどまり、その取得原因が被相続人からの相続であることまで確定するものでないことはいうまでもなく、右確定判決に従つて当該財産を遺産分割の対象としてされた遺産分割の審判が確定しても、審判における遺産帰属性の判断は既判力を有しない結果(最高裁昭和39年(ク)第114号同41年3月2日大法廷決定・民集20巻3号360頁参照)、のちの民事訴訟における裁判により当該財産の遺産帰属性が否定され、ひいては右審判も効力を失うこととなる余地があり、それでは、遺産分割の前提問題として遺産に属するか否かの争いに決着をつけようとした原告の意図に必ずしもそぐわないこととなる一方、争いのある財産の遺産帰属性さえ確定されれば、遺産分割の手続が進められ、当該財産についても改めてその帰属が決められることになるのであるから、当該財産について各共同相続人が有する共有持分の割合を確定するこことは、さほど意味があるものとは考えられないところである。これに対し、遺産確認の訴えは、右のような共有持分の割合は問題にせず、端的に、当該財産が現に被相続人の遺産に属すること、換言すれば、当該財産が現に共同相続人による遺産分割前の共有関係にあることの確認を求める訴えであつて、その原告勝訴の確定判決は、当該財産が遺産分割の対象たる財産であることを既判力をもつて確定し、したがつて、これに続く遺産分割審判の手続において及びその審判の確定後に当該財産の遺産帰属性を争うことを許さず、もつて、原告の前記意思によりかなつた紛争の解決を図ることができるところであるから、かかる訴えは適法というべきである。もとより、共同相続人が分割前の遺産を共同所有する法律関係は、基本的には民法249条以下に規定する共有と性質を異にするものではないが(最高裁昭和28年(オ)第163号同30年5月31日第三小法廷判決・民集9巻6号793頁参照)、共同所有の関係を解消するためにとるべき裁判手続は、前者では遺産分割審判であり、後者では共有物分割訴訟であつて(最高裁昭和47年(オ)第121号同50年11月7日第二小法廷判決・民集29巻10号1525頁参照)、それによる所有権取得の効力も相違するというように制度上の差異があることは否定しえず、その差異から生じる必要性のために遺産確認の訴えを認めることは、分割前の遺産の共有が民法249条以下に規定する共有と基本的に共同所有の性質を同じくすることと矛盾するものではない。

したがつて、被上告人らの前記請求に係る訴えが適法であることを前提として、右請求の当否について判断した原判決は正当というべきである。

よつて、民訴法401条、95条、89条、93条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 角田禮次郎 裁判官 谷口正孝 高島益郎 大内恒夫)

上告人初鹿野千枝子代理人市木重夫の上告理由

一 原判決は審理不尽・理由不備の違法があり法令違背として破棄されるべきである。即ち、

(一) 原判決は、「本件(1)乃至(7)及び(10)(11)の各物件につき初鹿野信忠と真田静雄又は山田セビロン株式会社間でなされた所有権の移転はいずれも右信忠の財産保全のための仮装譲渡である」と判示し、その理由として、

「(1) 上告人は、甲第22号証の2の手紙で真田静雄に対し、上告人が川勝親子に喰い物にされるという危機意識を強く有し「全不動産の閲覧をあげかねて依頼してある不動産屋に一切の書類を整えてもらう手はずになつている」旨書き添えてあり、右一切の書類とは信忠所有の不動産に関するものであり仮装譲渡の疑いを強く抱かしめる。

(2) 甲第19号証は、「亡父信忠の遺産相続につき上告人らが遺産のうち(1)ないし(7)の各物件及び(7)の物件上の家屋番号50番の建物を優先的に取得することに異議はない」旨の覚書があり、右各物件は信忠の遺産である性格を失わないものと認識していたことがうかがえる。

(3) 真田静雄名義及び山田セビロン株式会社名義に移転された物件の不動産取得税・固定資産税は、初鹿野家で負担していたこと。

(4) 真田静雄名義の物件の家賃収入部分に課税される所得税は静雄との間で初鹿野家で負担する約束がなされていたこと右所得税の一部負担の履行には上告人が関与していたこと。

(5) 物件(7)上の家屋番号50番の真田静雄名義の建物は、北林小太郎に賃貸していたものであるが、上告人が抜本的方法として取りこわし等したことは右建物が初鹿野家に帰属していることを当然の前提としていたことが十分窺える。

(6) 甲第38号証及び甲20号証の1によれば英三は「名義変更の分がバレない様計理士に充分注意はしてありますが、何分死亡後に変更してあるので作為と考えられるかも知れず勿論書類の上では完璧ですが」と述べ、手紙の末尾に山田セビロン名義物件分と静雄名義物件分の各評価額を記載していること。

(7) 真田静雄ないし山田セビロンから上告人に、又静雄から崔仁煥に夫々所有名義が移転されているが、崔仁煥の移転については真田静雄は売買の事実を聞いて始めて知つたものであり、上告人へ名義変更に応じたのは上告人に対する貸金や税金の立替金等の返済をなすことを約したからであり受領金額は62万円也だけであつたし、買受人である上告人が一方的に税務署への申告価格を決め指示している不自然な事実がある」

と判示する。

(二) 然しながら、

(1) 甲第22号証の2の手紙を詳細に検討するにその長文の手紙の文中から「所有権移転登記手続」という文言や「一時的に保全の意味で預つてもらう」という文言は見当らないし、他の上告人からの各甲号証の手紙からも何一つ見出す事は出来ない。

甲第22号証の2の手紙に「債権譲渡」の文言あるを以て本件不動産の仮装譲渡と結びつけるのは無理がある。

(2) 昭和34年12月頃、初鹿野信忠は真田静雄に対する恩借がある関係上、川勝玉枝とその息子の心配もあり真田静雄に迷惑をかけない意味からその所有する物件を一応代物弁済で受取つてもらつたものである。

仮装譲渡であるのなら真田静雄名義と山田セビロン名義の二つに分ける意味がない。(真田静雄名義だけで充分であるし、仮装譲渡であるのなら全く赤の他人が代表者である山田セビロン名義では危険である)又逆に仮装譲渡であるのならその旨の文書が信忠と真田静雄間に作成されて当然なのに証拠として存在しない事は重大である。

真田静雄は貸金として本件物件を取得したものであるから金の返済さえあればいつでも名義を戻す気はあつた。然しその所有権は真田静雄及び山田セビロンに帰属していた事は間違いない。

その様な関係から初鹿野家の誰かが金銭的都合さえつけば真田静雄としては名義移転の気持ちがあつたものであり、甲第19号証は一たん他人の手に渡つたとは言え自力でその優先的返還権を上告人が行使せんとの意思表明であり、その実行が昭和38年2月4日の金360万円の上告人の買取であつたのである。

(3) 信忠が恩借で世話になつている真田静雄と山田セビロンの不動産取得税を支払う事は当然のことであり、不思議ではない。(因みに譲渡担保の時は通常不動産取得税や固定資産税は実資上全て債務者が負担するのが通常である。)

(4) 以上の様な事実関係があるから家賃収入につき、上告人が管理し所得税の扱いにつき上告人が考慮する事も至極当然である。

(5) 物件(7)上の家屋番号50番の真田名義の建物につき、北林小太郎に対する明渡しにつき真田静雄は相当に所有者としての態度を示している。

(6) 甲第20号証の1は,逆に英三が信忠死亡後に移転登記してあるので「仮装譲渡(相続税逃れ)だと税務署から思われはしないか」と心配している文書とみるべきである。

つまり、「実質上の譲渡であるから相続税はかからない様に注意はしてあるが」と記載した上念のために末尾に計算を出しているのである。

(7) 上告人が真田静雄ないし山田セビロンに売買代金として支払つたのは金360万円也である。(乙第10号証)

甲第31号証の1・2は売買代金の圧縮に関する申し合わせ事項に関するものである。

金360万円也の領収書が存在しないと言うが所有権移転登記手続のための印鑑証明書交付、登記手続のための委任状の提出、権利証の交付で充分である。

(8) 真に信忠に財産保全の意味であるのならそれが財産的価値の高い低いは別にして全財産の所有権の移転登記をするものであり特に「京都市北区紫野下石竜町25番地、宅地330坪」「右同所26番地、宅地389.43坪」及び「同所30番地、宅地177.72坪」等は本件係争土地以上に坪数から考え比較にならぬ程高価なものである。本件物件中、賃借家屋も入つている事から考え、本件物件のみ財産保全だと考えているのは不自然である。

むしろ、真田静雄に対する恩借金額に見合う財産として売渡すが受戻す余地を残して所有権移転登記したものである。

(三) 甲第12号証は、初鹿野次郎作から真田静雄が難詰され作成したものであり、甲第13号証もその延長である。従つて、甲第12号証作成前に京都家庭裁判所の藤田調査官に述べた事実が正確なものである。

(四) 従つて、原判決の事実認定に対する理由は全く根拠がなく理由不備であり、経験則に違反し、且つその点に関する審理が充分になされておらない。

二 原判決は、上告人の相続回復請求権の時効の抗弁について次の通り法令違背がある。即ち、原判決は「本件について民法884条の適用がある」と解しつつ、「しかしながら共同相続人相互間の相続権の侵害については、共同相続人のうちの1人若しくは数人が他に共同相続人がいること、ひいて相続財産のうち、その1人若しくは数人の本来の持分をこえる部分が他の共同相続人の持分に属するものである事を知りながらその部分も又自己の持分に属するものであると称し、又はその部分についてもその者に相続による持分があるものと信ぜられるべき合理的な事由があるわけではないにも拘らず、その部分も又自己の持分に帰するものであると称し、これを占有管理している場合は本来相続回復請求制度の適用が予定されている場合には当らない」と判示する。

最高裁判所昭和53年12月20日の大法廷判決の援用であるが、本件の場合民法884条を適用しない理由が間違つている。つまり、信忠の全財産(遺産)の中で本件で上告人が他の相続人の持分を越えて侵害しているかどうか審理が充分し尽されていないのである。

そしてその主張、立証責任は被上告人等に存するのである。

最高裁判所昭和53年12月20日の大法廷判決は相続回復請求権に関する民法第884条の解釈であるが、適用除外は制限的に解釈されるべきであり、「他の相続財産は未分割のままであり、一部の相続財産の侵害があつたとしても且つその侵害の事実を知つていても全相続財産の持分の面で侵害していないと認められる時は、同条の適用がある」と考えるべきである。

そして本件では、正に信忠の未分割の遺産がどれだけあるか、又被上告人等に民法903条の特別受益関係があり全体としての計算上の相続財産の範囲を審理しなければならないのであるが、その点侵害の事実があるかどうか充分に審理されておらずそのまま前掲最高裁判所判例を適用したのは誤りである。

〔参照1〕二審(大阪高 昭55(ネ)985号 昭56.10.20判決)

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一 控訴人ら

1 原判決中控訴人ら敗訴の部分を取消す。

2 被控訴人らの請求を棄却する。

3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

二 被控訴人ら

主文と同旨

第二当事者の主張・証拠関係

次のとおり訂正、付加等するほか原判決の事実摘示と同じであるから、これを引用する。

一1 原判決4枚目表2行目に「美与子(昭和34年12月19日死亡)」とあるのを「美與子(昭和14年12月19日死亡)」と改める。

2 同5枚目表3行目に「昭和53年7月22日」とあるのを「昭和53年7月23日」と改める。

3 同17枚目裏2行目の「第41号証」の次に「(各写し)」を、同4行目の末尾に続けて「(ただし、第49号証は写し)」を、それぞれ加える。

4 同44枚目(別紙親族関係図)に真田美与子」とあるのを「真田美與子」と改める。

5 同45枚目(別紙登記名義変更図)表4行目に「S・40・8.11付」とあるのを「S・40・8・31付」と改める。

二 当審における付加主張

1 控訴人ら

原判決別紙物件目録(1)ないし(7)、(10)、(11)の物件についても、原判決事実摘示抗弁欄1記載のとおりの権利移転がなされたもので、その各登記は架空のものではない。すなわち、

(一) 静雄は、信忠に相当額の貸金債権を有しており、信忠の財産が川勝親子のものになることは静雄じしんにとつても看過しえなかつたところから、自己の貸金額に相当する物件を信忠から取得することになつたものであり、また、右貸金中には山田セビロン株式会社から出ている分もあつたので、その負担割合に応じ静雄個人と山田セビロン株式会社にそれぞれ所有権移転登記がなされたものである。

(二) 右の物件は信忠の財産中の限られた一部であるが、被控訴人ら主張のように財産保全の必要からなされた架空のものであるとすれば、財産の一部についてのみ右のような措置がとられるのは不合理である。

(三) 前記(1)ないし(7)の物件については、昭和34年12月19日受付で売買予約による所有権移転請求権仮登記がなされていたのが信忠死亡直後の昭和35年1月21日、所有権移転の本登記がなされているが、財産保全の目的であれば、仮登記だけで十分その目的が達せられるだけでなく、むしろその方が無駄な登記費用を必要としないし、後日もとに戻す手続も簡便で合理的である。

(四) 静雄は、かつて、京都家庭裁判所調査官に対し、本件物件はいずれも信忠から買取つたものである旨明言しており、後日これを翻した同人の申述書(甲第12号証)は信頼性がない。のみならず、静雄は、同人じしん譲渡所得申告をしたり、売買代金を受領したり、(7)の物件を自ら売却したりして実体的権利者として行動している。

(五) 被控訴人ら主張のように単に財産保全のためであれば、一部の物件を山田セビロン株式会社名義にする必要はなく、すべて静雄名義にしておくことで十分である。のみならず、同会社は、(10)及び(11)の物件を取得するや同会社の顧問弁護士松本半九郎名でこれら物件の占有者川勝玉枝に対し使用貸借契約の解除通知を発し、次いで明渡請求訴訟を提起してこれを遂行し、昭和38年1月31日これらを控訴人千枝子に売却するなど同物件について実体的権利者として保存行為や処分行為をしている。

(六) これらの点からみて、前記の各権利移転が架空のものでないことは明らかである。

2 被控訴人ら

控訴人らの右1の主張は争う。

(一) 前記の物件は信忠の財産の全部ではないが、他の財産は交換価値、担保価値が低く、担保に入れたり、売却したりできる手頃な物件は右の物件であつた。のみならず、同物件以外の信忠の財産も信忠死亡の前日である昭和35年1月19日に債務者三洋染工株式会社(長男英三経営)のために仮登記及び抵当権設定登記をすることにより別途の方法で保全措置がとられた。

(二) 静雄の申述書(甲12号証)は、十分信用性がある。同人は、それ以前に家庭裁判所調査官に右申述書の内容と異なる供述(信忠から静雄らへ前記登記簿記載のとおりの権利移転があつた旨の供述)をしたかも知れないが、その理由は甲13号証で述べているとおりであり、要するに、同人は、信忠からの名義移転が財産保全のためであつたところから、その必要性が消えないかぎり登記簿上の記載に符合した表面上の事実を述べたにすぎないのである。

(三) 控訴人ら指摘の譲渡所得税の申告書を静雄が作成したこと、賃貸借契約の解除通知や明渡の裁判に山田セビロンの名前が使われていることなどは、前記物件が財産保全のため仮装的に静雄らに名義が書きかえられたわけであるから、第三者に対して静雄らが所有者として振るまつたことは当然のことであつて異とするに足りない。

(四) 信忠から静雄らへの名義移転が仮装であり、したがつてまた静雄らから控訴人千枝子への名義移転も静雄らが実体的権利者であることを前提としてなされたものでないことは静雄らに名義が移転したことによつて同人らに賦課される不動産取得税、固定資産税、所得税の増額分や登記費用等がすべて初鹿野側で負担していたこと、家賃収入も静雄ではなく初鹿野側で取得していたこと、控訴人千枝子じしんが手紙の中でそうした事実を述べていることなどから明らかである。

三 当審における証拠関係(付加)

1 被控訴人ら

後記乙号各証のうち、同第24号証の成立は不知、その余の同号各証の成立は認める。

2 控訴人ら

(一) 乙第23号証の1ないし4、第24号証、第25号証の1ないし9、第26ないし28号証、第29号証の1、2を提出

(二) 当審証人初鹿野磯吉の証言を援用

理由

一 当裁判所も、被控訴人らの本訴請求中原審が認容した部分は正当としてこれを認容すべきものと判断する。その理由は、次のとおり訂正、付加等するほか、原判決の理由説示と同じであるから、これを引用する。

1 原判決23枚目表1行目に「第7号証の各1」とあるのを「第7号証の各2」と改める。

2 同26枚目裏7行目の末尾に続けて「また、当審証人初鹿野磯吉の証言も前記疑念を解消するものではない。」を加える。

3 同27枚目表3行目の「建物」の次に「並びに(10),(11)の各物件」を、同裏11行目の「静雄」の次に「及び山田セビロン」を、それぞれ加える。

4 同28枚目表5行目、同5行目ないし6行目及び同8行目に各「静雄」とある次に、それぞれ「もしくは山田セビロン」を加える。

5 同枚目裏3行目に「甲第23号証の2の」とあるのを「成立に争いのない同第23号証の1、」と、同5行目に「同号証の1、」とあるのを「同第23号証の」と、それぞれ改める。

6 同29枚目表4行目の「甲第24号証の2の」を削り、同所に「同第24号証、同第27号証、同第29号証の各1、」を加え、同6行目に「同号証の1、」とあるのを「同第24号証の」と改める。

同7行目の「甲第27号証の2の」を削り、同8行目から9行目にかけて「同号証の1、」とあるのを「同第27号証の」と改める。

同9行目から10行目にかけて「甲第29号証の2の」とあるのを削り、同末行目に「同号証の1、」とあるのを「同第29号証の」と改める。

7 同30枚目裏1行目の「甲第25号証の2の」を削り、同2行目から3行目にかけて「同号証の1、」とあるのを「同第25号証の」と改める。

同5行目の「甲」の次に「第25号証の1、同」を加える。

8 同31枚目裏9行目の「甲第26号証の2の」を削り、同11行目に「同号証の1、」とあるのを「同第26号証の」と改める。

同11行目から末行目にかけて「甲第30号証の2」とあるのを削る。

9 同32枚目表1行目に「同号証の1、」とあるのを「同第30号証の」と改め、同2行目から3行目にかけて「成立に争いのない」とある次に「同第26号証、同第30号証の各1、」を加える。

同11行目の「方法であるとして」の次に「控訴人千枝子において自らの判断で」を加える。

10 同34枚目表7行目の次に行を改めて次のとおり付加する。

「(ト) 当審証人初鹿野磯吉の証言及び原審における控訴人初鹿野千枝子本人尋問の結果中には、静雄は、当時、信忠に対し相当額の債権を有しており、同人名義に移転登記がなされた前記各物件は右の債権により決済されたかのような供述部分があるが、これらの部分はいずれも具体性に欠けるのみならず、前掲甲第12号証、同第35号証に照らしてにわかに採用できないし、他に静雄が信忠に対しいかなる内容、金額の債権を有し、これが右の各物件といかに決済されたかを明らかにする証拠はない。したがつて、静雄が同物件の所有権移転登記を受けるにつき信忠に対価を支払つた事実を認めることはできない。また、山田セビロンが同会社名義に移転登記された前記各物件につき、同じくその対価を支払つた事実を認めるに足りる証拠もない。

(チ) 控訴人らは、信忠から静雄及び山田セビロンへの前記登記名義の移転が実体を伴わない財産保全のためのものであつた旨の静雄の前記申述書(甲第12号証)の記載内容は信用性がないと主張し、公証人作成部分の成立については争いがなく、その余の部分については原審における被控訴人初鹿野治郎作本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる同第13号証によれば、静雄は右の申述書作成前に家庭裁判所調査官に対し、(1)ないし(7)、(10)、(11)の各物件につき信忠から静雄及び山田セビロンへ登記簿記載のとおりの権利移転があつた旨述べていたことが窺われる。しかし、右甲第13号証の全記載に、前掲同第22ないし27号証の各1、2、同第29、30号証の各1、2、同第42号証の1、同第46号証、同第47号証の1ないし8及び右被控訴人初鹿野治郎作本人尋問の結果をあわせ考えると、静雄の右申述書(甲第12号証)の記載内容は十分信用性があるものと認められる。」

11 同34枚目裏9行目の「移転されていること」の次に「、」を加え、同行目の「(以上の」から同10行目の「しかして」までを削る。

12 同35枚目裏1行目冒頭の「たのは、」の次に「控訴人千枝子から先に静雄及び山田セビロン名義となつた物件全部の返還、引渡しを求められ、話合いの結果静雄の」を加える。

同6行目に「認められ〔」とあるのを「認められる。」と改める。

同9行目の「前者については、」の次に「成立に争いのない甲第31号証の1、」を加える。

同10行目から11行目にかけて「甲第31号証の1、」とあるのを「同第31号証の」と改める。

13 同36枚目表2行目に「措信しがたい〕、」とあるのを「措信しがたい。」と改め、これに続けて次のとおり付加する。

「また、当審証人初鹿野磯吉の証言中には、昭和37年の梅雨時に静雄から控訴人千枝子に対し、先に静雄ら名義になつた各物件の買戻しの求めがあり、同控訴人は昭和38年1月中旬ころ訴外西岡から金350万円を借入れてこれを買戻代金にあてたかのような供述部分があり、右証言により成立の真正を認めうる乙第10号証によれば同控訴人が右時期に西岡から金350万円を借入れたことが認められる。

しかし、静雄が同控訴人に前記各物件の買戻しを求め、同控訴人が西岡から借入れた金350万円をその代金として静雄に交付した事実については、右の供述じたい具体性を欠き明確でないうえ、その供述部分を前記甲第12号証の記載と対比し、また、控訴人らにおいて右買戻しの際の領収証を提出しないこと(控訴人らが買戻しの証拠として提出している成立に争いのない乙第26ないし28号証、同第29号証の1、2の各売渡証書の記載によれば、その内容が虚偽でないかぎり、領収証が発行されていたことが明らかである。)などをあわせ考えると、右の供述部分はにわかに採用できない。

さらに、右乙第26ないし28号証、同第29号証の1、2によれば(1)ないし(6)、(10),(11)の各物件(但し(10)の物件については2分の1の共有持分)については、静雄もしくは山田セビロンから控訴人千枝子宛の売渡証書(登記済証)が存在することが認められるけれども、これらの証書はいずれも司法書士事務所備え付けの同一形式(契約文言は不動文字)のもので、静雄及び山田セビロンの押印欄には○印が付されていること、そして各金額欄にはいずれも「別紙領収書記載の通り」なる記載があるが、前記のとおり右の領収証は控訴人らにおいて提出していないことなどの諸点に、前記甲第12号証、同第31号証の1、2(前同除外部分を除く。)をあわせ考えると、右各売渡証書は登記手続に際しそのために作成された疑いが強く、これらの存在も実質的な売買がなされた証左とみることはできない。」

14 同36枚目表2行目に「右事実」とあるのを「以上の認定判断」と改める。

15 同枚目裏4行目の「甲第35号証」の次に「弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第4、5号証」を、同7行目の「川勝玉枝」の次に「に対し使用貸借解除通知をなし、その後同人を」を、それぞれ加える。

16 同枚目裏9行目に「事実によれば」とあるのを「事実、及び前記のとおり山田セビロンから控訴人千枝子への登記移転に関する必要書類等も山田セビロンの代表者ではなく、静雄においてこれらを一切整えて同控訴人に交付していた事実などから考えると、」と訂正付加し、同行目に「提起は」とあるのを「提起等も」と改める。

17 同枚目裏10行目に「所有者であるとして」とあるのを「所有者として自ら主体的に」と改め、同末行目の「右訴訟提起」の次に「等」を加える。

18 同37枚目表2行目の末尾に続けて「当審証人初鹿野磯吉の証言もこれを動かすに足りない。」を加える。

19 同枚目表2行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「なお、前掲甲第1ないし7号証の各2、乙第8号証、成立に争いのない同第25号証の1ないし9及び弁論の全趣旨によれば、(イ)、前記(1)ないし(7)の物件については信忠から静雄に対し一旦売買予約を原因とする所有権移転請求権仮登記がなされたうえ本登記が経由されていること、(ロ)、信忠は、当時、(1)ないし(7)、(10)、(11)の物件(但し(10)の物件については2分の1の共有持分)、以外にも不動産を所有していたが、それらについては静雄もしくは山田セビロンに所有権移転登記がなされていないことが、それぞれ認められる。しかし、前記(2)の各事実に照して考察すると、右(イ)、(ロ)の事実から直ちに(1)ないし(7)、(10)、(11)の物件(但し(10)の物件については2分の1共有持分)につき、信忠から静雄もしくは山田セビロンに真実売買による所有権移転がなされたものと認めることはできないのみならず、(イ)については控訴人ら主張のとおり仮登記のみでも事実上一定範囲で財産保全の機能を果しうることは所論のとおりであるとしても、本登記を経由すればその機能は一層強固なものになること、(ロ)についても、前記のとおり控訴人千枝子及び信忠らは主として川勝親子との関係で財産保全の必要性を感じていたわけであるから、川勝親子によつて侵害される虞れの強い財産を保全するところに重点があつたと考えられることなどの点からみて、前記(イ)、(ロ)の事実も信忠から静雄もしくは山田セビロンへの前記各登記が実体を伴わない財産保全のためのものであつたことと必ずしも矛盾するものではない。」

20 同37枚目裏10行目の「場合にも」の次に「原則的には」を加える。

21 同39枚目表2行目ないし3行目の「(なお」から同7行目末尾までを削る。

22 同枚目裏4行目から5行目にかけて「善意であつたとは到底いい難く」とあるのを「悪意であつたものと認められ」と改め、同5行目の「同被告に」の次に「その主張の」を加える。

23 同40枚目表2行目の「ないところ、」から同裏10行目までを削り、同所に「ないけれども、右各物件についての信忠から静雄への所有名義の移転は前記のとおり財産保全のための仮装のものであるところ、その後者に属する崔仁煥若しくは吉田恵以において、右崔が(7)の物件につき、右吉田が(3)、(4)の各物件につき、いずれも有効にその所有権を取得したことの主張、立証はないから、右各物件はなお信忠の遺産として残存しているとみるべきである。」を加える。

二 してみると、原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民訴法95条、89条、93条を適用して、主文のとおり判決する。 登記名義変更図

(1)の物件信忠

S35・1・21付真田静雄

S38・2・11付被告千枝子

(2)〃〃

(3)〃〃

S40・8・11付吉田恵以

(4)〃〃

(5)〃〃

(6)〃〃

(7)〃〃

S38・2・4付崔仁煥

(10)〃〃

S35・1・21付山田セビロン株式会社

S38・2・6付被告千枝子

(11)〃〃

(8)の物件信忠

S32・11・21付柴田辰治

S35・1・7付被告千枝子

(9)の物件信忠

S32・11・21付柴田辰治

S35・1・7付被告千枝子

(原文は縦書き)

〔参照2〕一審(京都地 昭51(ワ)624号 昭55.5.9判決)

主文

一 別紙物件目録(1)ないし(7)、(11)記載の各物件及び同目録(10)記載の物件の持分2分の1の共有持分は、昭和35年1月20日死亡した初鹿野信忠の遺産であることを確認する。

二 原告らのその余の請求を棄却する。

三 訴訟費用はこれを5分し、その4を被告らの、その余を原告らの負担とする。

事実

第一申立

一 原告ら

1 主位的請求

(一) 原告らと被告らとの間において、別紙物件目録(1)ないし(11)記載の各物件は、昭和35年1月20日死亡した被相続人初鹿野信忠の遺産であることを確認する。

(二) 訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決

2 予備的請求

(一) 原告らと被告らとの間において、別紙物件目録(1)、(2)、(5)、(6)、(8)ないし(11)記載の各物件及び同目録(3)、(4)、(7)記載の各物件の代償財産は、昭和35年1月20日死亡した被相続人初鹿野信忠の遺産であることを確認する。

(二) 訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決

二 被告ら

1 本案前の答弁

(一) 原告らの主位的及び予備的請求をいずれも却下する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決

2 本案に対する答弁

(一) 原告らの主位的及び予備的請求をいずれも棄却する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決

第二主張

一 請求原因

1 (一) 初鹿野信忠(以下信忠という)は昭和35年1月20日死亡した。しかしてその相続人は、長男初鹿野英三(以下単に英三という)、次女被告初鹿野志ず、次男原告初鹿野次郎作、三男原告初鹿野知、三女被告初鹿野千枝子(以下単に被告千枝子という)と長女亡真田美与子(昭和34年12月19日死亡)の代襲相続人である訴訟承継前の原告真田悦子である。

(二) その後信忠の遺産につき相続人間で分割協議がととのわない間である昭和40年5月6日長男英三が死亡した。しかしてその相続人は、妻原告初鹿野喜美、長男原告初鹿野光伸、長女原告横山佳子、次女原告島田典子、次男原告初鹿野哲彦、三女原告日下部和子である。

(三) 従つて信忠の遺産につき持分を有する共同相続人は、別紙親族関係図記載のとおりである。

2 別紙物件目録記載の各物件(以下単に(1)の物件、(2)の物件というようにいう)は信忠生前中同人が所有していたもので、同人の死亡により同人の遺産となつたものである。

3 しかしながら、被告らは右各物件が信忠の遺産であることを争つている。

4 (3)、(4)及び(7)の各物件は、別紙登記名義変更図記載のとおりいずれも昭和35年1月21日付で信忠から真田静雄(以下単に静雄という)に所有名義が移転しているが、右はいずれも仮装の登記であるところ、同変更図記載のとおり、(3)及び(4)の各物件については被告千枝子が同人名義に変更したうえ吉田恵以に売却して所有権移転登記を了し、又(7)の物件については同被告が崔仁煥に売却して静雄名義から直接崔仁煥に所有権移転登記を了した。

5 訴訟承継前の原告真田悦子は昭和53年7月22日死亡し、原告真田正雄及び同谷口康子がその相続人として真田悦子の原告としての訴訟上の地位を承継した。

6 よつて原告らは、主位的に、別紙物件目録記載の各物件は信忠の遺産であることの確認を、予備的に、(1)、(2)、(5)、(6)及び(8)ないし(11)の各物件並びに(3)、(4)及び(7)の各物件の代償財産は信忠の遺産であることの確認を求める。

二 被告らの本案前の主張並びに請求原因に対する認否

1 本案前の主張

(一) 確認訴訟においては、求められている確認判決が法律的紛争を除去するのに有効適切であることを要し、確認判決が得られたとしても当該紛争が解決されないで残ると認められるときは確認の利益はないところ、本件で確認の対象とされている別紙物件目録記載の各物件は(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分)、別紙登記名義変更図記載のとおり所有名義が移転し、現在被告千枝子か、吉田恵以あるいは崔仁煥のいずれかの名義に変更されているのであるから、右各登記を抹消し、信忠名義に回復するか、あるいは相続人全員の共有登記に更正するか、いずれにせよ登記名義を変更しないことには、本件紛争は一向に解決しないものである。従つて単に遺産の確認を求める本件確認の訴えは確認の利益を欠くものであり、不適法である。

(二) 又、予備的請求中の(三)、(四)及び(七)の各物件の代償財産につき遺産であることの確認を求める部分は、代償財産の内容が何ら特定されていないから、確認の対象が不特定であり、不適法である。

2 請求原因に対する認否

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 同2の事実中、別紙物件目録記載の各物件はもと信忠が所有していたものである(但し同目録(10)記載の物件については持分2分の1の共有持分である)ことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三) 同3の事実は認める。

(四) 同4の事実中、真田静雄への所有権移転登記が仮装であること、及び(7)の物件の崔仁煥への売却は被告千枝子がなしたとの事実は否認するが、その余の事実は認める。

三 抗弁

1 別紙物件目録記載の各物件の所有権の喪失

(一) (1)ないし(7)の各物件については、信忠と静雄間で売買予約ないし代物弁済予約契約が締結されていたところ、昭和34年12月25日静雄が売買予約完結権を行使した結果、同日売買により所有権を取得した。なお右については昭和35年1月21日所有権移転登記がなされた。

(二) (8)及び(9)の各物件については、昭和32年11月20日信忠が柴田辰治に売却し、柴田辰治がその所有権を取得した。なお右については同年同月21日所有権移転登記がなされた。

(三) (10)及び(11)の各物件については(但し(10)の物件は持分2分の1の共有持分)、信忠と山田セビロン株式会社間で売買予約ないし代物弁済予約契約が締結されていたところ、昭和35年1月5日同会社が売買予約完結権を行使した結果、同日売買により所有権を取得した。なお右については同年同月21日所有権移転登記がなされた。

2 相続回復請求権の時効

仮にしからずとするも、原告らの本訴請求は別紙物件目録記載の各物件を信忠の遺産に組み入れ、これを遺産分割の対象とし、原告らがその主張する相続分に応じこれを取得せんとするものであるから、本訴はその実質において相続回復請求権の行使に外ならないところ、原告らが右各物件が被告千枝子の所有名義に帰したのを知つたのは、遅くとも昭和38年2月末日であり、従つてその相続回復請求権は昭和43年2月末日の経過をもつて時効により消滅した。被告らは本訴において右時効を援用する。

3 取得時効

仮に以上が認められないとしても、被告千枝子は(1)ないし(6)の各物件を昭和38年1月下旬ないし同年2月初頃静雄から、(8)及び(9)の各物件を昭和34年12月20日柴田辰治から、(10)及び(11)の各物件を昭和38年1月末頃山田セビロン株式会社からそれぞれ買受け(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分)、自己の所有物と信じて右各物件の占有を開始したので、それぞれ10年を経過した時点で、被告千枝子は時効により右各物件の所有権を取得した。被告らは本訴において右時効を援用する。

四 本案前の主張に対する原告らの反ばく

(本案前の主張(一)について)

本件確認の訴えが確認の利益のあることは明らかである。即ち、信忠の遺産については被告初鹿野志ずから遺産分割の調停申立がなされ、原告らが別紙物件目録記載の各物件をも遺産に加えるべき旨主張したことから、被告らとの間に遺産の範囲について争いが生じ、調停が不成立となつたうえ、審判手続も事実上中断状態になつているが、右経過から明らかなように右各物件の遺産帰属性が確認判決により確定すれば、相続人全員を拘束し、具体的な遺産分割手続に入り得るのであつて、その意味において紛争は最終的に解決するのであるから、確認の利益があることは明らかである。

なお、(3)、(4)及び(7)の各物件については第三者にその所有名義が移転しているが、遺産分割の対象となる財産は、相続開始時に存在した財産なのか、あるいは分割時に現存する財産に限るのかは争いがあるが、前説によれば右各物件が遺産であることの確認を求める利益があることは当然のことであり、後説によつても、具体的相続分の算定にあたつては、売却された財産を売却した相続人に対する前渡し財産として扱い相続開始時に存した遺産全部を基礎にしてなされるべきであるから、右各物件が遺産であることが確認される利益は存するものである。

五 抗弁に対する認否

1 抗弁1の事実中、別紙物件目録記載の各物件につきそれぞれ被告ら主張の登記がなされていることは認めるが、その余の事実は否認する。

右各登記の登記原因は全く存在せず、右各登記はいずれも仮装のものであることは後記するとおりである。

2 抗弁2については争う。

民法884条は共同相続人間にも適用があるとしても、「共同相続人のうち1人若しくは数人が、他に共同相続人がいること、ひいて相続財産のうちその1人若しくは数人の本来の持分をこえる部分が他の共同相続人の持分に属するものであることを知りながらその部分もまた自己の持分に属するものであると称し、又はその部分についてその者に相続による持分があるものと信ぜられるべき合理的な事由があるわけではないにも拘らず、その部分もまた自己の持分に属するものであると称し、これを占有管理している場合」には同条の適用は排除さるべきである。しかして後記のとおり信忠から静雄、山田セビロン株式会社あるいは柴田辰治への所有権移転登記は実体関係のない仮装のものであり、被告千枝子はこれを十分承知していながら、自己の持分をこえて全部について所有権移転登記を了したのであるから、本件には民法884条の適用はない。

3 同3の事実は、時効の援用に関する部分を除いて、すべて否認する。被告千枝子の占有は後記のとおり善意でない。

4 (原告らの主張-抗弁1に対し)

別紙物件目録記載の各物件についての信忠から静雄、山田セビロン株式会社あるいは柴田辰治に対する所有権移転登記は、次のとおり実体関係のない仮装のものである。

(一) (8)及び(9)の各物件を除いたその余の物件について

(1) (イ) 信忠は浄るり道楽を通じ川勝玉枝なる女性と親しくしていたが、川勝玉枝とその長男川勝忠男、次男川勝忠正らは言葉巧みに信忠につけ入り、自分達の事業のために信忠に多額の融資をさせたり、あるいはその返済を帳消しにするために、個人事業を法人組織に改め信忠を社長にかつぎ出したり、あるいは融通手形を発行させたり等々のことをしていた。そうした川勝親子と信忠との結びつきは、そのまゝ放置すれば、信忠所有の財産は、右川勝親子のために食い物にされてしまうという極めて危険な状態にあつた。

(ロ) しかして被告千枝子は右危険を除去するため、親戚のうちで最も信頼できる静雄に(8)及び(9)の各物件を除いたその余の物件の登記名義を移すことを考え、信忠をその旨了承せしめた。その結果、別紙登記名義変、更図記載のとおり、何ら実体関係がないにも拘らず、(1)ないし(7)の各物件については昭和35年1月21日信忠から静雄に、(10)及び(11)の各物件については同日信忠から山田セビロン株式会社に登記名義が変更された。

(ハ) 右登記手続は、これを信忠からまかされていた被告千枝子が、昭和34年12月中旬頃、静雄に登記に必要な書類を預けてなした。なお、(10)及び(11)の各物件については山田セビロン株式会社名義になつているが、右会社は静雄の経営する会社で便宜その名義を借用したにすぎない。

(2) しかして登記名義の移転後賦課される不動産取得税や固定資産税は、これを静雄に負担させるわけにはいかないので、信忠の相続人らが相続財産の中から負担することにした。

(3) 又、右各物件に関する訴訟も被告千枝子が一切を進めた。例えば、(7)の物件上にはかつて木造瓦葺2階建居宅が建つておりこれを北林小太郎に賃貸していたが、家賃値上げ等について紛争を生じ、北林が右建物の所有名義人である静雄を相手に(右建物も前記各物件とともに前同様の理由から名義が変更されていた)、訴訟を提起してきたが、その裁判は被告千枝子や信忠の長男英三らが弁護士を選任して訴訟を遂行し、静雄には時々経過を報告するのみであつた。

(4) しかして一旦静雄名義にかえた前記各物件を被告千枝子が自己名義に変更したいきさつは次のとおりである。

(イ) 静雄は右各物件の所有名義人になるについては、予め自己の実印を押印した登記委任状と印鑑証明交付請求書を信忠(その死亡後は相続人)に預けておいた。初鹿野の側とすれば、望めばそれを利用していつでも登記名義を変えることができたのであつて、従つてそれは、静雄の邪心なきことの何よりの証明であつた。

(ロ) ところで被告千枝子は右書類を利用すれば静雄や他の相続人に内緒で前記各物件を処分し得ると考え、京阪住宅株式会社を仲介にして静雄らに無断で(7)の物件を崔仁煥に売却してしまつた。しかしながら、被告千枝子は右手続を進めるうち、静雄が改印しているのを知つた。静雄は、被告千枝子が北林に賃借していた前記建物を勝手に取壊すなど尋常でない行為を繰り返していたので、更にこの上何をされるかわからないと心配になり、秘かに実印をかえていたのである。

(ハ) そこで被告千枝子は昭和38年1月17日肺結核で病気療養中の静雄宅を当時同棲していた西川磯吉とともに訪れ、登記委任状、印鑑証明書等の交付を要求した。ところが右要求を静雄から拒まれたので、同人を罵り、わめきちらしまるで静雄が遺産横領を企んでいるかのように非難し、静雄が英三に電話をかけて相談しようとするのを実力で阻止するなど延々7時間にも及ぶ攻撃を静雄に加えた。その結果静雄は精神的にも肉体的にも疲労困憊し、要求された書類を被告千枝子に渡した。

被告千枝子は右書類を利用して、別紙登記名義変更図記載のとおり、(7)の物件については崔仁煥に、その余の物件については自己名義に変更した。

(ニ) そして静雄から被告千枝子への名義変更が贈与とみなされ多額の税金がかかるのを回避するため、権利移転の原因を売買とし、その代金が静雄に渡つたかのように工作した。

(二) (8)及び(9)の各物件について

(8)及び(9)の各物件には被告千枝子が居住していたが、同被告は信忠の財産を取得しようとして同人に対し様々ないやがらせをし、同人をほとほと困らせていたので、信忠は被告千枝子をこらしめ、反省させるために一計を案じ、柴田辰治に右各物件の所有名義を移したうえ、家屋明渡訴訟を提起させることとし、何ら原因関係がないのに、別紙登記名義変更図記載のとおり、仮装的に右各物件の登記名義を同人に移転した。

しかしその後、信忠、英三と被告千枝子間に話し合いができ、(8)及び(9)の各物件の名義は、柴田から被告千枝子に戻すことにした。

六 再抗弁(相続回復請求権の時効の抗弁に対し)

被告初鹿野志ずは昭和36年遺産分割の調停申立をなしたが、昭和38年原告らが別紙物件目録記載の各物件も遺産に加えるよう請求して、遺産の範囲を争つたため、調停は不調になり、審判に移行した(京都家庭裁判所昭和38年(家)第114号審判事件)。従つて原告らの右請求により相続回復請求権の時効は中断した。

七 原告らの主張及び再抗弁に対する被告らの答弁と反ばく

1 原告らの主張に対する答弁と反ばく

(一) (1) (イ) 原告らの主張(一)(1)(イ)の事実は認める。

信忠は金銭に窮し、山田セビロン株式会社から少くとも金100万円を借入れていたほか、静雄からも金借していたもので、それが(8)及び(9)の各物件を除いたその余の物件の所有権を静雄あるいは山田セビロン株式会社に移転した原因となつたものである。

(ロ) 同(一)(1)(ロ)の事実中、原告ら主張のとおりの登記がなされたこと(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分について)は認めるが、その余の事実は否認する。(8)及び(9)の各物件を除いたその余の物件の所有権が真実静雄らに移転していたことは、信忠の相続人たる原告ら及び被告らともにこれを相続税の対象物件として扱つていないことからも明らかである。

(ハ) 同(一)(1)(ハ)の事実中、被告千枝子が信忠の依頼で所有権移転登記手続に必要な書類を静雄方に届けたことは認めるが、その余の事実は否認する。

山田セビロン株式会社は静雄経営の会社ではなく、静雄は同社の単なる取締役にすぎなかつた。(10)及び(11)の各物件(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分)については、単なる名義の借用にすぎないものではなく、真実所有権が移転されたことは、同物件に居住していた川勝玉枝に対し同社が訴訟を提起したことからも明らかである。

(2) 同(一)(2)については、静雄取得物件の不動産取得税は英三が負担したが、売買価額との関係で取得税などの負担はすべて売主の負担という取決めがあつたと推測される。しかして山田セビロン株式会社の取得物件については英三はその取得税を負担していない。又固定資産税は静雄取得物件がいずれも賃貸物件及びその敷地であり、家賃収入があつたので、静雄はこれを管理していた被告千枝子に集金した家賃の中から納入させていた。

(3) 同(一)(3)については、静雄は北林居住建物に関し北林対策を指示しており、訴訟の単なる名義人ではなかつた。

(4) 同(一)(4)の事実は、原告ら主張のとおりの登記がなされたこと(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分についてである)は認めるが、その余の事実は否認する。被告千枝子が真実売買によつて(1)ないし(6)、(10)及び(11)の各物件(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分)の所有権を取得したことは、抗弁において述べたとおりである。

(二) 同(二)の事実は否認する。

(8)及び(9)の各物件は柴田辰治が信忠から真実取得した物件であることは抗弁において述べたとおりである。だからこそ右物件を、原告ら及び被告らは信忠の相続財産から除外して税務署に申告している。しかして被告千枝子は柴田から右各物件を代金35万円で買受けたものである。

2 再抗弁に対する答弁

調停、審判の申立人は被告初鹿野志ずであつて原告らではなく、原告らは相手方として遺産の範囲を争つているにすぎないから、時効は中断されず、従つて再抗弁は失当である。

第三証拠

一 原告ら

1 甲第1ないし第9号証の各1、2、第10ないし第15号証、第16号証の1ないし4、第17、第18号証の各1ないし3、第19号証、第20号証の1、2、第21号証、第22ないし第27号証の各1、2、第28号証、第29ないし第32号証の各1、2、第33ないし第41号証、第42号証の1、2、第43、第44号証、第45号証の1、2、第46号証、第47号証の1ないし8、第48ないし第54号証

2 原告初鹿野次郎作本人、被告千枝子本人

3 乙第2号証、第6ないし第8号証、第9号証の1、2、第11号証、第12号証の1、2、第15、第16号証、第17ないし第19号証の各1、2、第20号証の成立は認めるが、その余の乙号各証の成立は不知。検乙号各証については被告主張のとおりの写真であることは知らない。

二 被告ら

1 乙第1ないし第8号証、第9号証の1、2、第10、第11号証、第12号証の1、2、第13ないし第16号証、第17ないし第19号証の各1、2、第20ないし第22号証、検乙第1ないし第4号証(検乙第1ないし第3号証は昭和35年2月21日信忠告別式の状況を撮影した写真であり、同第4号証は同年同月20日信忠の通夜の状況を撮影した写真である)

2 甲第1ないし第9号証の各1、2、第10、第11号証、第14、第15号証、第16号証の1ないし4、第33ないし第41号証、第42号証の1、第44号証、第45号証の1,2、第47号証の1ないし8、第48ないし第54号証の成立は認める(第33ないし第41号証、第49号証については原本の存在及びその成立も認める)。第13号証については公証人作成部分の成立は認めるがその余の部分の成立は不知であり、第19号証については成立は認めるが但し末尾から9行目にある丸印及びその中の文字部分の成立は不知であり、第22号証の1、2については成立は認めるが但し同号証の1の書きこみ部分同号証の2の傍線、傍点、欄外記入部分の成立は不知であり、第23号証の1、2については成立は認めるが但し同号証の2の傍線の成立は不知であり、第24号証の1、2については成立は認めるが但し同号証の2の傍線、傍点、追伸以外の欄外記入部分の成立は不知であり、第25号証の1、2については成立は認めるが但し同号証の2の傍線、傍点、欄外記入部分の成立は不知であり、第26、第27号証の各1、2については成立は認めるが但し同号各証の各2の傍線、傍点の成立は不知であり、第28号証については成立は認めるが但し傍線、傍点、傍注、欄外書込み部分の成立は不知であり、第29号証の1、2については成立は認めるが但し同号証の2の傍線、「37年」とある部分、及び欄外記入部分の成立は不知であり、第30号証の1、2については成立は認めるが但し同号証の2のうち傍線、傍点、欄外記入部分の成立は不知であり、第31号証の1、2については成立は認めるが但し枠の表示、「昭和38年」とある部分の成立は不知であり、第32号証の1、2については成立は認めるが但し同号証の2の枠の表示、欄外書きこみ部分、「昭和39年」の記入部分の成立は不知である。その余の甲号各証の成立は不知である。

理由

第一本案前の主張について

被告らは、本件遺産の確認の訴えは、遺産の登記上の所有名義が現在被告千枝子か、第三者たる吉田恵以あるいは崔仁煥に移つているので、右各登記を抹消するなどの登記上の請求をなさない限り最終的に紛争は解決しないから、確認の利益を欠く旨主張する。

しかしながら、別紙物件目録記載の各物件が信忠の遺産であることについては被告らがこれを争つていること、及び原告真田正雄、同谷口康子を除くその余の原告らと訴訟承継前の原告真田悦子及び被告らが、いずれも信忠の相続人か、相続開始後死亡した相続人の相続人であることは当事者間に争いがないから、右原告らは遺産分割をなすにあたりその前提となる遺産の範囲を確定するため、被告らを相手に別紙物件目録記載の各物件が信忠の遺産であることの確認を求める即時確定の利益があるものというべきである。しかして、別紙物件目録記載の各物件の現在の所有名義人が被告ら主張のとおりであることは当事者間に争いがないところ、当該所有名義人に対する登記抹消等の登記上の請求に対する勝訴判決のみでは、右登記請求権の前提たる右各物件が遺産であることにつき既判力は生じないから、登記上の請求をなすほかに、別個に右各物件が遺産であることの確認を求める利益があるものというべきであるのみならず、本件のように遺産の確認を求めることは、登記上の請求の前提となるだけではなく、遺産分割をなすためにも必要不可欠であり、従つて登記上の請求とは別個独立の意義を有するのであるから、右のとおり被告らとの間で確認を求める即時確定の利益が存する限り、遺産であることに基づく給付の訴えたる登記上の請求をなすことなく、遺産の確認のみを求めても、訴えの利益を欠く不適法なものであるとはいえないものといわざるを得ない。

従つて被告らの前記本案前の主張は理由がない。

第二本案の請求について

一 請求原因1の事実、別紙物件目録記載の各物件(但し同目録(10)記載の物件については持分2分の1の共有持分)はもと信忠が所有していたことは当事者間に争いがない。

原告は(10)の物件の全部が信忠所有にかかるものであつたと主張するが、これを認めるに足る証拠はなく、かえつて成立に争いのない甲第10号証によれば、信忠は(10)の物件については持分2分の1の共有持分しか有していなかつたことが認められる。

二 そこで以下抗弁につき判断する。

1 (8)及び(9)の各物件の所有権喪失の抗弁について

傍線・傍点・傍注・欄外書込み部分を除くその余の部分の成立に争いのない甲第28号証(右除外した部分を除く)、原本の存在及びその成立に争いのない甲第35号証、同甲第38号証、成立に争いのない乙第2号証及び同乙第16号証によれば、信忠は昭和32年11月20日柴田辰治に(8)及び(9)の各物件を代金55万円で売渡したことが認められる。

もつとも右甲第28号証及び甲第38号証によれば、信忠が柴田と右売買契約を締結したのは、父たる信忠に当時あたりちらしていた被告千枝子に対し明渡訴訟を起してもらうなどして同被告を困らせ反省させるためであつたことが認められるが、売買契約の締結にあたつて右の如き目的があつたからといつて当然に、原告らが主張するように、それが何ら実体のない全くの仮装的所有名義の移転にすぎないものとはいい難く、むしろ右事実によれば、右売買契約の締結は一種の信託的行為であるものというべく、従つて契約当事者たる信忠と柴田間では、千枝子を反省させるための手段として、表示どおり売買を原因として(8)及び(9)の各物件の所有権を信忠から柴田に移転する意思を有していたものと解するのを相当とすべきであり、前掲甲第28号証及び同甲第38号証から認め得るところの柴田が信忠に売買代金の内金として金10万円を支払つている事実は、これを裏付けるものというべきである。

しかして他に前記認定を覆えすに足る証拠はないから、(8)及び(9)の各物件に関する被告らの抗弁は理由がある。

2 (8)及び(9)の各物件を除くその余の物件に関する抗弁について

(一) 所有権喪失の抗弁について

(1) 成立に争いのない甲第1ないし第7号証の各1、同甲第11号証、前掲甲第10号証、同甲第38号証、及び原告初鹿野次郎作本人尋問の結果から成立の真正が認められる甲第12号証によれば、(1)ないし(7)の各物件については、(7)の物件上の建物である家屋番号50番木造瓦葺2階建居宅とともに昭和35年1月21日付で昭和34年12月25日売買を原因とする信忠から静雄に対する所有権移転登記が、(10)及び(11)の各物件(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分)については同じく昭和35年1月21日付で同年同月5日売買を原因とする信忠から山田セルロイド株式会社(後日商号変更により山田セビロン株式会社となる。以下単に山田セビロンという)に対する所有権移転登記がそれぞれなされていること、しかして右各登記は、信忠の依頼で被告千枝子によつて昭和34年12月中頃山田セビロンの専務取締役をしていた静雄方に持参された所有権移転登記手続に必要な書類に基づき、静雄が司法書士に依頼してなしたものであることが認められる(但し、右各物件につき右各日付で静雄あるいは山田セビロン名義の所有権移転登記がなされていること、及び被告千枝子が信忠の依頼で所有権移転登記手続に必要な書類を静雄方に持参したことは当事者間に争いがない)。

右事実によれば、(1)ないし(7)の各物件については静雄が昭和34年12月25日売買により、(10)及び(11)の各物件(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分)については山田セビロンが昭和35年1月5日売買により、それぞれ信忠から所有権を取得したと推認し得ないではない。

(2) しかしながら次の諸点が留意さるべきである。即ち、

(イ) 信忠は浄るり道楽を通じ川勝玉枝と親しくしていたが、川勝玉枝とその長男川勝忠男、決男川勝忠正らは言葉巧みに信忠につけ入り、自分達の事業のために信忠に多額の融資をさせたり、あるいはその返済を帳消しにするために、個人事業を法人組織に改め信忠を社長にかつぎ出したり、あるいは融通手形を発行させたり等々のことをしていたこと、しかしてそうした川勝親子と信忠との結びつきは、そのまゝ放置すれば、信忠所有の財産は、右川勝親子に食い物にされてしまうという極めて危険な状態にあつたことは当事者間に争いがないところ、甲第22号証の1の書きこみ部分及び同号証の2の傍線・傍点・欄外記入部分を除いたその余の部分の成立に争いのない同号証の1、2(右除外した部分を除く)によれば、被告千枝子は当時父信忠の財産が川勝親子に食い物にされるという危機意識を強く有し、同親子が信忠の不動産に手をつける一歩手前の段階に達していると認識していたこと、そして川勝親子の動静に日頃から細心の注意を払う一方、右事態に対処するための協力方につき内諾を得ていた静雄に対し、昭和34年11月6日付の手紙で、静雄から信忠を説得してほしい旨依頼したこと、その際同被告は、自己がなしている準備として、「全不動産の閲覧をあげ、かねて依頼してある不動産屋に一切の書類を整えてもらう手はずになつている」旨を書き添えていることが認められる。

右事実によれば被告千枝子は父信忠の財産、とりわけ不動産の保全に腐心していたことが明らかであり、しかして静雄の協力及び同人の信忠に対する説得は財産保全に関するものであること、及び同被告が整えるべく準備中の書類は信忠所有の不動産に関するものであることがうかがえる。そして昭和34年12月中頃被告千枝子が信忠の要請により、(8)及び(9)の各物件を除くその余の物件の所有権移転登記に必要な書類を静雄方に持参したこと、及び昭和35年1月21日右各物件(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分)につき静雄及び同人が専務取締役として関与する山田セビロン名義に所有権移転登記がなされたことは前記のとおりであつて、時期的に密接したこれら一連の事実を勘案すると、(8)及び(9)の各物件を除くその余の物件については、財産保全のため仮装的に静雄ないし山田セビロンに登記名義が移転されたのではないかとの疑いを強く抱かしめる。

尤も、右甲第22号証の2によれば、静雄に被告千枝子が手紙で依頼しているのは、静雄に対する信忠の「債権譲渡」であるということになるが、同号証の記載全体の趣旨からすると、「債権譲渡」は財産保全の手段としてなされるもので、信忠の不動産に関するものであることが十分窺えるから、被告千枝子の依頼する右「債権譲渡」とは、字義通りのものではないというべく、従つて甲第22号証の2の手紙の中で「債権譲渡」という言葉を被告千枝子が使用しているからといつて、それにより前記疑念が払拭されるものでもない。右「債権譲渡」の内容に関する被告千枝子の供述は、甲第22号証の2の記載全体の趣旨にそぐわず、にわかに措信しがたい。

(ロ) 末尾から9行目にある丸印及びその中の文字を除いたその余の部分の成立に争いのない甲第19号証(右除外した部分を除く)及び被告千枝子本人尋問の結果によれば、昭和35年月日不詳日付の相続人代表初鹿野英三の被告千枝子及び訴訟承継前の原告真田悦子宛の、「亡父信忠の遺産相続につき被告千枝子らが遺産のうち(1)ないし(7)の各物件及び(7)の物件上の家屋番号50番の建物を優先的に取得することに異議はない」旨の覚書と題する書面が存すること、しかしながら作成名義人たる英三の捺印はなく、従つて右書面は草案のような体裁を有していること、しかして右書面は被告千枝子が記載したものであることが認められる。右の如き書面の体裁、内容及び記載者に照らせば、右書面は被告千枝子がその意思に基づき草稿したものであることが推認される。尤も、被告千枝子は右書面は英三にいわれるまま同被告において書いたものに過ぎないと供述するが(原本の存在及びその成立に争いのない甲第36号証、被告千枝子本人尋問)、英三にいわれ代筆しただけのものであるなら、同書面の作成は英三の意思によるものというべきであるから、同人の捺印が同書面にないのは不可解といわざるを得ないことに照らし、右供述は直ちに措信し得ず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

ところで、右覚書により被告千枝子らに遺産の中から優先的に与えられるとされた各物件は、奇しくも静雄名義に移転登記された物件と全く一致すること、覚書が作成されたのは昭和35年に入つてからであること、及び前記のとおり昭和34年12月中頃被告千枝子は右各物件の所有権移転登記手続に必要な書類を静雄に届けていることからすれば、被告千枝子は右覚書作成当時右各物件が静雄名義に移転登記されていたか、少くとも静雄名義に移転登記される予定となつていたことを知つていたと推認されるから、以上によれば、同被告は右各物件の名義が静雄名義に変わつても、右各物件は信忠の遺産である性格を失わないものと認識していたことがうかがえる。

(ハ) (a) 静雄名義に移転された(1)ないし(7)の各物件及び(7)の物件上の家屋番号50番の建物(以下静雄名義物件ともいう)の不動産取得税は英三が負担したことは当事者間に争いがない。

(b) 又、前掲甲第12号証、甲第23号証の2の傍線を除いたその余の部分の成立に争いのない同号証の1、2(右除外した部分を除く)、原告初鹿野次郎作本人尋問の結果から成立の真正が認められる甲第46号証、成立に争いのない甲第47号証の1ないし8及び原告初鹿野次郎作本人尋問の結果によれば、山田セビロン名義に移転された(10)及び(11)の各物件(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分、以下山田セビロン名義物件ともいう)の不動産取得税も英三ないし初鹿野家側で負担したことが認められ、これを覆えすに足る証拠はない。

(c) 更に、前掲甲第12号証、成立に争いのない甲第15号証、甲第24号証の2の傍線・傍点・追伸以外の欄外記入部分を除いたその余の部分の成立に争いのない同号証の1、2(右除外した部分を除く)、甲第27号証の2の傍線・傍点を除いたその余の部分の成立に争いのない同号証の1、2(右除外した部分を除く)、甲第29号証の2の傍線、「37年」とある部分、欄外記入部分を除いたその余の部分の成立に争いのない同号証の1、2(右除外した部分を除く)及び被告千枝子本人尋問の結果によれば、静雄名義物件及び山田セビロン名義物件のいずれの物件についても、所有名義が移転した以降の固定資産税は、被告千枝子が静雄名義物件の貸家の借家人から集金した家賃収入の中から支払うものと初鹿野家側と静雄間で約されており、約定に従い右収入の中から支払われたことが認められるところ、右家賃収入は実質的には被告千枝子ないし初鹿野家側がこれを取得していたことは後述のとおりであるから、結局静雄及び山田セビロン各名義物件の固定資産税も又初鹿野家で負担していたことになる。

(d) 右のように静雄及び山田セビロン各名義物件の不動産取得税及び固定資産税のいずれも初鹿野家側で負担したが、右各物件につき真実所有権の移転がなされたとの前提に立つた場合には、通常相手方たる静雄ないし山田セビロンにおいて当然負担すべきはずの右の如き公租公課を初鹿野家側で負担した特別の事情については、本件全証拠によるもこれを明らかにし得ない(右の点に関する被告千枝子の供述はあいまいで到底措信しがたい)。

(ニ) 前掲甲第12号証、前掲甲第38号証から成立の真正が認められる甲第18号証の1ないし3、甲第25号証の2の傍線・傍点・欄外記入部分を除いたその余の部分の成立に争いのない同号証の1、2(右除外した部分を除く)、原本の存在及びその成立に争いのない甲第34号証、成立に争いのない甲第42号証の1によれば、静雄名義物件の建物はいずれも貸家で、右家賃は被告千枝子が取立てていたこと、しかして静雄の所得税については、家賃収入を加えて算出した税額からこれを加えないで算出した税額の差額、即ち家賃収入部分に課税される所得税は、静雄との間で初鹿野家で負担する約束がなされていたこと、右所得税の一部負担の履行には被告千枝子が関与していたことが認められる。右事実によれば、静雄との間では同人名義物件の貸家の家賃収入は、同人の所得とはならず初鹿野家に帰属するものであることが当然の前提とされていたことが推認される。この点に関し右に反する趣旨の被告千枝子の供述もきわめてあいまいであり到底措信しがたく、他に右認定を覆えすに足る証拠もない。

しかして信忠から静雄に同人名義物件の建物の所有権が真に移転したものであれば、同建物の家賃収入も静雄に移転すべきであるのに、それが依然として旧所有名義人たる信忠、即ち初鹿野家側に帰属していることは、右各建物の所有名義の移転にも拘らず、実質的所有権は依然として旧所有名義人に帰属していたことを優に窺わしめる。

(ホ) 前記のとおり(7)の物件上の家屋番号50番の建物も(1)ないし(7)の各物件とともに静雄に所有名義が移転したものであるところ、前掲甲第12号証によれば右建物は信忠が北林小太郎に賃貸していたものであることが認められる。しかして、前掲甲第23ないし第25号証の各1、2(それぞれ前記の部分を除く)、甲第26号証の2の傍線・傍点部分を除いたその余の部分の成立に争いのない同号証の1、2(右除外した部分を除く)、甲第30号証の2の傍線・傍点・欄外記入部分を除いたその余の部分の成立に争いのない同号証の1、2(右除外した部分を除く)及び成立に争いのない乙第7号証によれば、昭和36年頃北林に賃貸していた右建物の賃借権をめぐつて、北林と同建物を管理していた被告千枝子との間で争いが生じ、北林から同建物の所有名義人である静雄に対し賃借権確認の訴えが提起されたこと、ところで被告千枝子はかねてより右建物を明渡してもらつて敷地とともにこれを売却したいとの意向を有していたこと、しかして右訴訟係属中の昭和37年10月頃突如、抜本的な方法であるとして右建物を取壊してしまつたことが認められる。以上の事実によれば、被告千枝子は北林に賃貸していた建物及びその敷地については、その所有名義が静雄になつていたにも拘らず、認識の上でも実際にとつた処置上でも、同物件が初鹿野家に帰属していることを当然の前提としていたことが十分窺える。

被告千枝子は、北林との紛争については静雄が弁護士に相談するなどして関与していた、建物の取壊しは静雄の指図によりなした旨供述するが、当時同被告が静雄宛に差出した手紙である前掲甲第23ないし第26号証の各1、2、同甲第30号証の1、2の記載に照らし、右供述はいずれも措信しがたい。尤も成立に争いのない乙第12号証の1、2によれば、静雄が北林との紛争に対する自己の意見を被告千枝子に述べたことのあることが認められるが、右乙第12号証の2の記載を子細に見れば、それは被告千枝子に対する指示というよりはむしろ助言に近いものというべきであるから、右事実は前記認定に必ずしも反しないものである。

(ヘ) 前掲甲第38号証から成立の真正が認められる甲第20号証の1及び前掲甲第38号証によれば、英三は原告初鹿野次郎作宛の手紙の中で、相続税の税額を知らせたのち、「名義変更の分がバレないよう計理士に充分注意はしてありますが、何分死亡後に変更してあるので作為と考えられるかも知れず、勿論書類の上では完璧ですが」と述べており、同手紙の末尾に山田セビロン名義物件分と静雄名義物件分の各評価額を記載していること、なお相続税関係については倉貫税理士に依頼した旨述べていることが認められる。ところで原本の存在及びその成立に争いのない甲第37号証によれば、倉貫税理士が英三から相続税の申告につき依頼を受けたのは昭和35年頃であることが認められるから、右手紙もその頃差出されたものと推認し得るところ、右認定の事実によれば、英三は信忠死亡の年である昭和35年頃、静雄及び山田セビロン各名義物件はいずれも架空名義であるとの認識を有していたことが明らかである。しかして前掲甲第38号証及び原告初鹿野次郎作本人尋問の結果によれば、原、被告ら間で遺産の範囲が争われるようになつたのは昭和38年のことであることが認められるから、英三の前記認識は争いになる以前のものとして極めて重要である。

右に見た諸点に照らせば、前記(1)の事実から(8)及び(9)の各物件を除いたその余の物件(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分)につき、それぞれ売買により静雄もしくは山田セビロンが信忠から所有権を取得したと推認することは到底困難であるといわざるを得ない。

(3) 尤も、前掲甲第1ないし第7号証の各1、2、同甲第10ないし第12号証によれば、(1)ないし(6)の各物件については昭和38年2月11日付で、(10)及び(11)の各物件(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分)については同年同月6日付でそれぞれ静雄ないし山田セビロンから被告千枝子に、(7)の物件については同年同月4日付で静雄から崔仁煥にそれぞれ所有名義が移転されていること(以上の事実は当事者間に争いがない)、しかして右所有名義の移転については静雄がこれを承諾のうえなしたものであることが認められ、又前掲甲第37号証及び成立に争いのない乙第9号証の1、2によれば、静雄は右各物件につき売買による譲渡所得があつたとして税務上の申告をなしていることが認められるから、逆にこのことから静雄が有していた所有名義は実質を伴つていたと推認し得ないではない。しかしながら、前掲甲第12号証、同甲第37号証、成立に争いのない乙第15号証及びこれにより成立の真正が認められる乙第14号証によれば、静雄は(7)の物件の崔仁煥への売買の交渉に全く関与しておらず、契約締結後被告千枝子らから右売買の事実を聞いて初めて知つたものであること、しかして静雄が最終的に崔仁煥及び被告千枝子に対する名義変更に応じたのは、同被告に対する貸金や税金の立替金等の返済をなすことを同被告が約したからであり、従つて静雄が同被告らへの所有権移転登記手続をなすのに必要な書類一切を渡すのと引き換えに受領したのは、右貸金や税金の立替分等の合計金62万円(うち31万円は約束手形)だけであつたことが認められ〔これに反する被告千枝子の静雄との売買及び静雄と崔仁煥との売買に関する供述は、あいまいであるうえ、前者については、枠の表示、「昭和38年」の記入部分を除いたその余の部分の成立に争いがない甲第31号証の1、2(右除外した部分を除く)から認められるところの買受人たる同被告が一方的に税務署への申告価格を決め、指示している不自然な事実に照らし、直ちに措信しがたい〕、右事実に照らせば、被告千枝子らに対する所有名義の移転は、静雄が実体的権利者であることを前提としてなされたものではないことが明らかである(従つて前記税務上の申告も果して静雄が実質的負担者としてなしたものであるかは疑問である)。

又、成立に争いのない乙第8号証によれば、別紙物件目録記載の各物件が相続税の申告書に遺産として記載されていないことが認められるが、かといつて右各物件が遺産でないことを相続人が認めていたといえないことは、前記(2)(ヘ)に認定の事実からうかがえるところの、名義仮装の事実が相続税の申告にあたつて表面化しないことを相続人(とりわけ英三)が警戒していた事実に照らし明らかである。

更に前掲甲第35号証によれば、山田セビロンは(10)及び(11)の各物件(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分)の所有名義の移転を受けたのち、同物件の居住者である川勝玉枝を相手に明渡の訴訟を提起したことが認められるが、前記(2)(ハ)及び(ヘ)に認定した事実によれば、右訴訟の提起は山田セビロンが右各物件の実質的所有者であるとしてなしたものであるかについては、疑念を差挾む余地があるものというべきであるから、右訴訟提起の事実も山田セビロンへの名義移転が実質的になされたことの証左とはなし難い。

(4) しかして他に、静雄もしくは山田セビロンが信忠から(8)及び(9)の各物件を除いたその余の物件(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分)を売買により所有権を取得したことを認めるに足る証拠はないのみか、むしろ前記(2)に見た諸点を総合すれば、右各物件の信忠から静雄ないし山田セビロンに対する所有名義の移転は、財産保全のため単に名義をかえたにすぎず、実体関係を全く伴わない架空のものであつたといわざるを得ない。

従つて所有権喪失の抗弁は理由がない。

(二) 相続回復請求権の時効の抗弁について

本件訴訟は、別紙物件目録記載の各物件が信忠の遺産ではなく、しかもそのうちの一部は共同相続人である被告千枝子の単独所有であると主張する被告らに対し、その余の信忠の共同相続人ないし同相続人の相続人である原告らが右各物件を遺産であるとしてその確認を求めているものであるが、少くとも被告千枝子が単独所有であると主張している物件については、原告らの右請求はその実質において民法884条に定める相続同復請求にほかならないから、本件の場合にも同条の適用があるものと解するのが相当である。

しかしながら本件におけるように共同相続人相互間の相続権の侵害については、共同相続人のうちの1人若しくは数人が、他に共同相続人がいること、ひいて相続財産のうちその1人若しくは数人の本来の持分をこえる部分が他の共同相続人の持分に属するものであることを知りながらその部分もまた自己の持分に属するものであると称し、又はその部分についてもその者に相続による持分があるものと信ぜられるべき合理的な事由があるわけではないにも拘らずその部分もまた自己の持分に属するものであると称し、これを占有管理している場合は、本来相続回復請求制度の適用が予定されている場合にはあたらないから、民法884条の適用はないものと解するのが相当である。

これを本件についてみると、前記(一)(2)にみた諸点に照らせば、被告千枝子は(8)及び(9)の各物件を除いたその余の物件(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分)はその名義の如何に拘らず信忠の遺産であることを知つていたものというべく、しかして前記(一)(3)にみた静雄ないし山田セビロンから被告千枝子に右各物件(但し(7)の物件を除く)の所有名義が移転した経緯に鑑みると、被告千枝子は静雄から単に所有名義の移転を受けたにすぎないことがうかがえるから、結局同被告は、信忠の遺産である右各物件につき自己の持分を超える部分については他の共同相続人に属することを知りながら、その全部が自己の所有に属すると称しているものというべく、従つて本件の場合は前記適用が除外される場合にあたるといわざるを得ない(なお仮に、被告らが主張するように被告千枝子が静雄から売買等により右各物件を取得したものとすれば、そのような同被告を相手とする遺産確認の訴えはもともと相続回復請求の問題とはいい難く、従つて民法884条の適用除外も問題とならないものである)。

してみれば相続回復請求権の時効の抗弁も理由がない。

(三) 取得時効の抗弁について

被告千枝子が(1)ないし(6)、(10)及び(11)の各物件(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分)が信忠の遺産であり、静雄もしくは山田セビロン所有のものでないことを知つていたことは前記のとおりであるから、同被告が右各物件の自主占有をなしたとしても、自己の所有物であることにつき善意であつたとは判底いい難く、従つて同被告に取得時効が成立する余地はなく、取得時効の抗弁も又理由がない。

三 以上によれば(8)及び(9)の各物件を除いたその余の物件(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分)は信忠の遺産であるが、(8)及び(9)の各物件については信忠が生前にその所有権を喪失したもので信忠の遺産とはいえないものというべきである。

なお、(3)、(4)及び(7)の各物件については現在共同相続人以外の第三者の所有名義になつていることは当事者間に争いがないところ、以下右各物件の遺産性につき付言する。ところで第三者名義になつたことが1人の共同相続人の単独の処分行為によりなされた結果であるとしても、その処分行為は当該相続人の持分を超える部分については無効であり、従つて他の共同相続人は当該第三者からその取戻を請求することができるから、当該物件は他の共同相続人が右処分行為を追認でもしない限り遺産から離脱しないものというべきである(追認した場合には共同相続人全員の合意により処分した場合と同様に、当該処分された物件は遺産から離脱するものと解される)。尤も、現実には第三者からの取戻は容易ではなく、本件のように被相続人が所有名義を仮装していた場合には、第三者が善意で取得したとするとその返還は法的にも不能となるおそれがあるなどのことから、実際には第三者に処分されたものについてはこれを遺産として遺産分割の対象にしても、現実の分割は不可能になるとはいえるが、そのような場合であつても分割時に当該物件を処分した相続人に売却価格又は分割時の価格で取得させて調整するという方法をとることができ、かつそうすることが公平に適うのであるから、そのような方法をとり得る以上、第三者に処分された物件でもなお遺産性を喪失していないものというべきである。

第三訴訟承継

訴訟承継前の原告真田悦子が本訴係属中の昭和53年7月23日に死亡したこと、しかしてその相続人が原告真田正雄及び同谷口康子であることは原告ら提出にかかる戸籍、除籍各謄本により認め得るから、同原告らは真田悦子の本件訴訟の原告たる地位を承継した。

第四結論

以上の次第で原告らの本訴請求は(1)ないし(7)、(10)及び(11)の各物件(但し(10)の物件については持分2分の1の共有持分)が信忠の遺産であることの確認を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余を棄却すべく、訴訟費用の負担につき民訴法89条、92条、93条を適用して、主文のとおり判決する。

別紙〈省略〉

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